酒と塩
食べ物のおいしさの秘密は、塩と油だそうである。そういわれてみると納得がいく。
冬の寒い日の店で、友人が冷酒を注文する。樽酒の入った一合枡の隅に塩が盛られて来る。その友人は、「樽酒を塩で呑むのがうまいんだよ。塩をつまみにしてね。ぎゅうっとね。腹になにかはいっていちゃダメだね。空腹の時にやるのがいいんだ」といいながらグビグビと呑む。
どの酒でもそうだけれども、空腹の時の酒はうまい。しかし、塩には問題がある。
秋田栄養短期大学の教授であった田中玲子先生は、脳血管疾患の多かった秋田県の健康増進運動に取り組み大きな成果をあげた。健康のためには1日約8gまでの食塩摂取を目安としているが、秋田県では当時1日20g~30gの食塩を摂っていたそうである。これでは、高血圧や脳疾患など食塩による健康被害は多かったに違いない。
ナトリウムは必須ミネラルであるが、その必要量は1gを切るそうである。自然界の動物で人間を別にすれば、食塩を摂っている動物はいない。
私たちは何百年もの間、このような少量のナトリウムを摂取してきた。したがって、私たちの体が持っているナトリウム排出力は極めて低く、多量に摂った場合、健康被害におよぱす影響は大きいのである。食塩が毒であることを疑う余地はないが、私たちはその毒物を薄めるために食塩摂取と同時に多量の水を飲む。したがって60兆の細胞は水ぶくれになってしまう。
イヌイット族はほとんど食塩を摂らない人種であって、はるか数十キロメートル先の獲物を肉眼で捕らえることができるほどの優れた視力の持ち主である。しかし、文化の波が押し寄せて、塩の摂取量が増えたことによって、彼らの視力は著しく低下し、狩猟に役立たないものになった。食塩を食べさせた犬は、嗅覚を構成している感覚細胞が水ぶくれになり、警察犬としてほとんど機能しなくなるそうである。
細胞にはナトリウム・カリウムチャンネルという出入り口がついている。細胞は、入り込んできた毒であるナトリウムを排出しようとして、チャンネルのポンプを動かし、昼夜働きずくめの状態になる。このポンプを動かすのには、膨大なエネルギーを要し、つまり我々はヘトヘ卜になるだけでなく、細胞自体の働きも弱くなる。
食塩を摂ることによって血圧が上がるのは、体が持っている一種の防衛反応である。したがって、この場合に必ずしも人為的に血圧を下げてはいけないのであるが、私たちは薬によってこの血圧を下げようとするから、そのとき体の防衛反応はおかしなものになってしまう。この食塩という毒を薄めるために多量の水を飲み、しかも、血流を良くするために血圧をあげているのである。
食塩とナトリウムを区別しないで書いてきたが、食塩は塩化ナトリウムであり、実は、このナトリウムの方が問題なのである。私たちは塩辛くない物、つまり、グルタミン酸ナトリウムなどのたくさんのナトリウムを、食品添加物の形で取り込んでいる。塩化ナトリウム以外のナトリウムは塩辛くないものが多いので、摂取しても自覚がないのが問題である。
私たちは、たくさんのカリウムを含んだ食品を摂ってナトリウムを減らし(カリウムとナトリウムは拮抗ミネラルである)、浮腫んだ体を痩せることは出来るが、なかなかうまくいかない。この原稿も、塩辛い物をつまみに酒を呑んで書いているようなしだいだ。私は、塩辛やたらこなど塩辛い物で日本酒を呑むのが好きだから、1日8gどころか数十gの食塩を摂取しているに違いない。反省の意味でこの文を書く。