夏の蕎麦

夏の蕎麦を題材に書き綴りました。

そばまえに、蕎麦猪口を集めたことがあった。せいろの蕎麦を食べるときの,蕎麦のつけ汁を入れる、あの小さな器である。値段もたいしたことはないので、私のようなものでも数を集めることができる。その蕎麦猪口集めに熱中していたのである。

磁器は秀吉が朝鮮から陶工を呼び寄せ、伊万里にはじまったものであるから、蕎麦猪口の歴史もそれほど長くはない。雑器である。しかしながら、古いものは、自然のゆうが何ともいえない景色をなしていて、古い厚い緑がかった焼物は趣のあるものであると、そんなことを書いてはいるが、受け売りで言っているのであって、たいしたものは持ち合わせていない。

江戸時代の江戸の人口はおよそ100万人であったが、それでも当時は世界一の大都市であった。その当時の江戸には、町内ごとにおよそ3000もの蕎麦屋があった。居酒屋も喫茶店もなかった時代だから、庶民はここで酒を飲み、蕎麦を食べていた。時代によっても異なるが、せいろ1枚が15文程度で、江戸町民にとって、酒を1本頼み蕎麦を食べるというのが、ささやかな楽しみなのである。

東京になってからの蕎麦屋は、およそ4000と言われているが、人口比でいうと、たいへんな蕎麦屋の減少である。そば屋は、かつては江戸の町民の唯一とも言える交際の場であって、今やそういう役割はほとんど果たしていない。

そんなことを考えながら、場末のそば屋でざる蕎麦を食べている。飲んだ帰りで、腹が減って蕎麦でも食べていこうとなったわけだが、飲んだあとはざるに限る、そんな気がする。酔って身体が熱いので、冷たく、しかも少ししょっぱいものがうまい。

新蕎麦は11月からだけれども、蕎麦が美味しいのは、夏である。