杉の樽の酒

日本酒について書き綴りました。

若いときは、酔えば酒は何でもよかったが、今は美味しい日本酒が飲みたい。寒いときは、湯豆腐で一杯やるのも悪くない。

しかし、美味い日本酒が少なくなった。

酒が不味くなったのは、最初はコメ不足による合成酒が認められたことが始まりだが、コメ余りの時代になってもそれが続けられてきた。当然、材料費がかからないから儲かるが、日本酒離れが起きる。若者が日本酒を飲まないのは、ある意味で、儲けを先に考えた造り酒屋の責任だと言ってよい。
不思議なことに「純米酒」なる酒があるが、酒はもともと純米酒に決まっている。ヨーロッパのワインを造っている
人にこの話をすると笑われることになる。米以外のもので造ったらそれは当然日本酒とは言わないはずだが、それが堂々と売られてきたのである。

日本酒は冬造られる。温度管理が日本酒造りの生命線だからだ。杜氏も、農閑期になると造り酒屋にやってくる。秋に採れた新米を原料にして、あの芳醇な日本酒が造られるのである。「伝統的な日本酒は、昭和になって無くなった」と言う人がいるが、当たっていないわけではない。麹を原料に一か月近くの時間をかけて「酒母」を造る。麹は乳酸菌など他の雑菌と戦い、生命力の強い酵母菌として生まれ変わるのだ。美味い酒を造るためにはこの手間がどうしても必要だが、このような時間のかかる生翫づくりはなくなっていた。

酒は、杉の木の樽で熟成されるのである。したがって、杉のかおりと色で、日本酒はもともと黄色く豊潤なはずである。しかし、温度管理が十分にできないために、酒樽は、今や琺瑯びきやジュラルミンなどの金属性のものにとって代わってしまった。日本酒が美味しいわけはないのである。

隣の山形県の造り酒屋である「樽平」は、「日本酒造りで大切なことは米だ」と言っている。米の銘柄ではない。どんな有名な銘柄でも、肥沃な大地と水で太陽の光をさんさんと浴びてきた米でなければ本当に美味い酒はできないのだ。

樽平の酒は、杉の木の樽で熟成される。ただ残念なことに、東北の造り酒屋でありながら、樽平は吉野杉を使っている。

私は仙台に在住していたときに、この山形の樽平を飲んでいた。吉野杉の樽で熟成された酒は純粋で、しかも豊潤だ。こんな美味しい酒があるかと思う。樽平が机に並ぶと、仕事の憂さが吹っ飛ぶのである。

京都に「菊正宗」という銘柄の酒がある。生翫造りで、吉野杉の樽で熟成させる大変美味しい酒だ。それでも出来、不出来があって、江戸時代は、不出来な酒は江戸に下らなかったのである。上方から江戸に下らない酒を「下らない酒」ということから「くだらない」という言葉が出たのであるけれども、それほど酒の味に気を遣っているのである。

こういう造り酒屋がどれほど日本にあるだろうかと、日本酒の将来を心配していたところ、秋田県でも若い醸造家が新しい試みをしようとしていると知った。生翫造りで、日本の銘木である秋田杉の樽の中で発酵熟成させるのである。

今夜も酒を飲もう。今日は冷や酒だ。

テレビドラマ「素浪人花山大吉」ではないけれども、おからを丼一杯作って、それをつまみに酒を飲む。幸せなひとときだ。