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平成29年8月2日

中山蕎麦  ― 大館市にある「中山蕎麦」を題材に書き綴りました。

仙岩トンネルを抜けて秋田平野に入ると、果てしない水田だ。「あきたこまち」を産む肥沃な土地である。米を作るのに適した耕作地と豊かな水があるから、蕎麦のような雑穀はほとんど作られていない。山形県や岩手県のように、県名に「山」や「岩」のつく県との違いである。

蕎麦は、山岳地帯のような荒れた土地でも育つので、それは貧困の代名詞のようにもなっている。古くは、蕎麦は米の採れない地域の代用食であった。それで、客を接待するのに蕎麦屋に連れて行くとあまりいい顔をしないのである。

大館の南のはずれに、「中山蕎麦」という古い蕎麦屋がある。国道に面したその店は果物屋で地元の梨などを売っているが、庭を通って奥に入っていくと蕎麦屋になっている。私はこの小さな蕎麦屋に二十年も前から通っている。というと少し大げさだが、大館に出張する時や近くに行く時は、時々ここに寄ることにしていた。

蕎麦屋のおやじというとだいたいが無愛想で蕎麦の哲学をひとくさり言うのが通例だが、ここの店主は愛想のいい五十代の女性であった。この人の顔には「客においしいものを食べさせたい」という思いが表れていた。

どの蕎麦にも、手で擦った辛味大根がついてくる。大根になりそこねた辛い栄養失調の大根ではなく、身の丈が二十センチにしかならない正真正銘の辛味大根である。それを鉢に山のように擦って持ってきてくれるのである。

蕎麦猪口に辛味大根をたっぷり入れ、めんつゆを少し入れて、そのつゆに蕎麦を少しつけて口に持っていく。何とも言えぬかつお節の香りがする。

蕎麦は、太く猛々しく、それでいて口に含むと、今打ったというような蕎麦の香りがする。蕎麦は二八だが、かための「藪」である。

つゆのダシにも心が込められている。

「この太くて四角い蕎麦は、山形の蕎麦に似ていますね」
「そういうわけじゃないんですが、おいしいものを食べてもらおうと思って」
「これだけ硬い蕎麦を打つと大変でしょう。これだけ太く・・・」
「これまで、毎日やってきたからね」
「この中山蕎麦を食べたいと思うことがしょっちゅうあるんですよ。近くに来たときは必ず寄ってますけどね。もうずい分長くなりましたね。初めて来てから」

店主はお茶を入れ、店頭にあった売りものの梨をむいて出してくれる。地元の中山で採れた梨だ。梨が栽培されている耕地はなだらかな斜面で、その先は川になっている。

暑かった夏も終わりだ。虫捕り網を持った子供達が通り過ぎて行く。水田は色付き始めた。青い空にトンボが群れていた。

作成日:平成23年10月3日